よいおとしを。
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iPad mini6を高速購入した。これは、思っていたよりもいい。
iOSはセットアップする時にメイン端末からデータを引き継ぐことができる。つまりいまメインでつかっているiPhoneのデータをそのままiPadにも移せるのだけども、電子書籍を読むために購入したものだから全部はいらんやろと思って手動でセットアップした。これが幸いだった。
私は部屋をスマートホーム化していることもあって部屋の中でもスマホが手放せない。テレビをつけるのにもスマホを使っている。だからテレビをつけようとしたらSNSやメッセンジャーの通知が目にはいる。本を読んでいてもどんどん通知が届く。iPad mini6はゼロから新規にセットアップしているのでなにも通知がこない。メッチャ過ごしやすい。
Push通知に集中力が奪われる時代とはいうものの、自分のテック耐性はそれなりにあると思っていた。でもSNSの通知がないとメッチャ居心地がいい。iPhoneにインストールされているアプリも断捨離しよう。
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すごい速度でiPad mini6がほしくなった。iPad mini4は持ってるんだけど「ペンで書き込めるiPadはこんな風に使える」と教えてもらって、本に書き込みをいれるのが嫌いだった私は目からウロコが落ちた。即断即決主義者として即座にイオシスにいってiPad mini4を買い取ってもらってiPad mini6と入れ替えようと思ったらまさかのクレジットカードを忘れてとぼとぼと下北沢へ。
下北沢では年の瀬のテクノを浴びた。特に飲酒はしていないのだけども帰宅したら速攻で寝てしまって、体力の低下なのか寒いから眠いのかわからないけど、久しぶりに眠剤も使わずにすみやかに眠った。
クラブを含むあらゆる興行は正直しんどい。「そろそろしんどいな」と思ってる人に、コロナは「いかなくなる理由」になったんじゃないかと思う。
『龍と苺』がおもしろい
少年サンデーで連載されている『龍と苺』という漫画がおもしろい。
漫画の内容はほんとうに一言で終わってしまうのだけども「死ぬほど将棋の強い女子中学生が、死ぬほど将棋が強い」というただそれだけだ。一瞬『クイーンズ・ギャンビット』かな?と思ってしまうのだけど、まったく違う。盤ゲームが強い女性という部分しか似ているところはない。ライバルもいないし恋愛もない。将来がどうとか強敵がどうとか、なにもない。とにかく死ぬほど将棋の強い女子中学生が死ぬほど将棋が強い。それがなんともおもしろいのだ。
『龍と苺』はいわゆる「俺つえー系」に分類してもいいと思う。けれども『龍と苺』を読むと「俺つえー」という枠組みにはこんなにもたくさんの可能性があったのだと驚かされる。
主人公の藍田苺はある日、将棋を覚えて、いきなり強い。なんの理由もなくムチャクチャ強い。今のところ一度も負けていない。たぶん最後まで負けない。負けてしまったらがっかりだ。必ず勝つとわかっている勝負事がおもしろいかというと、おもしろい。なぜなら「一体どうやって勝つんだ?」という展開になっていくからだ。創作における展開は「勝つか負けるかわからない」ではないのだと改めて思わされる。
そしていわゆる「俺つえー系」はむなくそ悪い相手をバチボコにブッ飛ばすことが読者の快楽・ファンタジーになっていて、そこがムチャクチャ気持ちの悪くて私はまったく好きではないのだけども、もちろん『龍と苺』にもその要素はある。けれども『龍と苺』でブッ飛ばされる相手というのは「イヤな人」ではなく「ナメてる人」だから共感がもてる。将棋の世界では女性がナメられているし、藍田苺は女子中学生、つまり子供ということでナメられまくる。ナメてる奴らをすべて負かす。
けれども、勝ち続けていくうちに相手はどんどん、本当に努力してきた人、何年も何年もがんばってきた人たちが相手になってくる。そいつらもみんな負けていくのだけども、単なる「俺つえー系」ではないのが藍田苺は「素直ないい子」というところにある。本当に努力してきた人たちには努力をしてきたなりに培ってきたものがあるし、信念もある。藍田苺は道理を説かれれば納得するし、納得したことは行動に移す。
そしてそれは藍田苺だけではない。例えば、将棋の試合には解説役がついているのだけども、たいてい男性棋士と女性棋士の組み合わせになっている。男性棋士が藍田苺のピンチに対して気分を良くしている時、つまり女子供をナメている時、女性棋士は心底からつまんなさそうにしている。それがいざ、藍田苺が巻き返した時に男性棋士が的確な解説をする、つまり棋士としての力を発揮して正しく「解説」をすると女性棋士は素直に感服してみせる。
そうして藍田苺は少しずつ成長をしていく。いわゆる「大人になる」ではない。道理をきくし納得もするけど、納得しないことには即座に言い返す。このバランス感覚がおもしろい。ムチャクチャ強い動物が少しずつ人間になっていく物語とでも言えばいいだろうか。
ところで『龍と苺』が休載していたので著者の前作である『響 〜小説家になる方法〜』も読んでみた。
こちらもほとんどまるで同じ話なのだけども『響』のほうが天才が隣にいることで傷つく人であるとか、天才を芸能的に消費しようとする人々であるとか、天才を利用しようとする人々を、より率直に描いている。『龍と苺』よりも描こうとしている範囲が広いし、登場人物も素直に頭のおかしい人間が多すぎて、これはいきなり読んだらけっこう戸惑うかもしれないと思った(単純に私とは文芸に対する感覚がだいぶ違うというのもある)。『龍と苺』から入ってよかったと思う。『龍と苺』がおもしろかった人や休載していて暇な人は一気読みしてみてほしい。
『響』も『龍と苺』も天才が社会を振り回す話ではあるのだけども、小説家は小説という商品を生み出すので社会や経済が動いていく。棋士にはそれがないので話としてスッキリする。それに響はたったひとりで作品を作り上げてしまう天才で、パートナーであるはずの編集者は徐々に、天才をただ信じて待っているだけの人になってしまう。『龍と苺』では将棋とは勝負それ自体が棋士にとって作品であると示唆されていることだろう。『龍と苺』に登場する超つえー人は、自分と奇跡の一局を打てる相手の登場を夢見ている。
ところでこの著者は、才能がものを言う世界における天才の、かっこよさ、理不尽さ、くやしさをイヤというほど見てきた人なんじゃないだろうか。と思ってwikipediaを参照してみたら「同人サークル「TTT」を主宰し約10年活動を続けた後に商業誌デビューを果たす」とのことで納得できるものがあった。
なんか見覚えがあるサークルだと思ったら『ハルヒかわいい』であり「アリスかわいそう」こと『クリスマスはあなたと』の人じゃん、というのが一番の驚きだった。続けている人は今もおもしろい漫画を描いている。
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Amazonにノセられてセールの時に漫画を一気買いするようになって思うんだけども、漫画は高い。どんどん消費していくものなんだけども、それにしては高い。
大量に漫画を消費するなら雑誌を定期購読するのがいちばん安い。それはそれとして雑誌を定期的に読むような習慣は、もはや生活から抜け落ちている。押し寄せる大量の情報の中で「雑誌の発売日」を覚えらいられないのだ。
そうやって漫画をまとめ買いしてみると、エイヤで買えるのは20巻くらいがせいぜいかな、と思う。そのくらいだとこの感覚と、少年ジャンプの漫画が『鬼滅の刃』にしろ『チェンソーマン』にしろ、短期決戦にしてるのは相性がよく感じる。5000円、6000円くらいだと買えてしまう。1万円を超え始めると衝動買いでも足が止まる。漫画をどの程度の巻数におさめるかはストーリーのまとまりよりも単行本の価格で調整するのがいいんじゃないかと思う。
そうなってくると、やたらと長い漫画に興味が出てくる。消費されづらいものの中から宝物をみつけたい。そういう感覚が残っている。
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出社していた。オフィス見学みたいなものには積極的に參加してきたので色々とリッチなオフィスは見てきたつもりだけども、とんでもねえわ。
その後、友人に誘われて飲み。飲酒量は控えていたつもりだったんだけどもものすごい速度で酔っ払ってしまった。あとから「疲れてそうだった」といわれたのだけども、自分ではまったくわからなかった。私は自分にも他人にも、こういう顔色や様子を察する感度があまりない。敏感になっていきたい。
高速泥酔によって帰宅して即座に沈没。深夜5時に目覚めるも、ちゃんと布団に入るファインプレーによって元気を得る。若干の喉のイガイガを感じるのでドーピングしてさらに眠った。