疲れていたのでひたすらゴロゴロしていたけども、スマホの買い物リストを開いて色々と足りていないことに気がついてスーパーにでかける。なぜかすべて品切れで、わざわざ出てきたのにネット通販をするのかと思って検索をかけてみたら今月末で商品がリニューアルすることがわかる。品切れの理由がわかってなんとなくスッキリする。
生活がガタガタになっている自覚があるので、ちょっとここらで踏ん張って持ち直すぞ、来週からがんばるぞ、と思いつつやたらと夜ふかしをしてしまう。来週からがんばろう。
夜だからって寝なくてもいい。 朝だからって起きなくてもいい。 夜に寝なければいけないのは、朝に起きなければいけないからで、朝に起きなければいけないのは、社会があるからで、社会に即して生きなければいけないのは、生きなければならないからで、社会こそ人間を束縛する不自由さにほかならない。
夜に寝なくてもいいという思いから、夜ふかしをしながら、横になって本を読んでいたのだけれども、スピーカーから再生されるFrank Sinatra Jr『Black Night』がよすぎて飛び起きる。先日、Bさんから勧められてゲイ・タリーズ『有名と無名』を読んで以来、Frank Sinatraの聴き方がかわってしまったのだけれども、まさかそのJrもよすぎるなんて。
PCの動作が重すぎて、さすがにそろそろ買い替え時かと思ってAppleのストアを眺めていたのだけどもスペックを積んでいくと30万円近くなってしまい、こんなのは市井の個人が買うものではないと思う。ところが、Appleの分割払いは今までオリコカードが必須ではなくなっていた。私はクレジットカードをたくさん持ちたくないし、手数料なんていういやらしいビジネスに絞られるのも癪だから使ったことはなかったのだけども、これならさすがに、ちょっといいかもしれない、と心が揺さぶられる。
揺さぶられたところで36回払いという数字をみて、2年後の私はどうしているのだろうか、思う。そんな先のことなんて検討がつくわけもない……。それでも仕事の道具ではあるし、慎重に検討するしかない。
引き続きロックを聴いている。The Actionの黄金のメロディ。こんなに美しい音楽はない。調子にのって、Birds、Count Fiveと聴いていたら眠れなくなり深夜5時まで起きていた。
携帯電話で文章を書くのが苦手だと思う。単なるタイピングなら、私がタイプしている様子を見た知人があまりの速さで驚いて「そんなことができるんですね」と思わず話題にしてしまうくらいには早いのだけど、文章を書くのはタイピングとは違うので、ずっと苦手に感じている。
今、携帯電話から日記を書いてみている。それというのも、私は朝、目を覚まして、顔を洗って歯磨きをして簡単な朝食を済ませて仕事へ向かう前に日記を書いているものだから、そうでない時間にアウトプットされるテキストはまだ違ったものになるのかな、と思っての試みだけれども、そもそも最近は、日記を書くという習慣そのものに疑問を感じている。
日記を書くということは私自身を客観的に捉えて文字として記述することなのだけど、これがweblogである以上、これを読む人、そんなに人数はいないのだけれども、どうしたって親しい人間であるとかが浮かばれて、意識を意識したものになる。
ところで労働や、人生なんてものは、本当にくだらない。それは労働や社会というものが私に在り方を強いるからで、私がそれに応じるからで、人生をくだらないものにしているのは私自身なのだけれども、だからこそ動物がありのままでいる様子は本当に感動的で、フリーインプロビゼーションは美しいと思うのだけれども、社会であるとか、生活であるとか、私自身のありように干渉しようとする意思を、私は意識せずにはいられない。その極地である労働や、つまるところ人生は、結局のところ私自身の意思ではないような気がして、そんな思いつきから鬱々としたものが溢れ出しては惨めな気分になるのである。
だからこそ、他者の視線を意識した人生を、さらなる他者の視線を意識しながら記述するこのテキストは、本当にみじなものになる。
これは日記なので出来事を書かなければ、と思い、それ自体が、とまた思考の奥底に沈み込むのに堪えてWHYTE HORSES『Hard Time』を聴いて大興奮。狂った情熱とのレプリケーションが生み出す、愛好家の狂気のようなものが滲み出ている。消費が生み出す自己表現とはこういうものか、と、何度も聴く。
Cherry Redからいつの間にかでていたEdgar Jones『The Way It Is – 25 Years Of Solo Adventures』を聴いてかっこよさにしびれる。しびれながら仕事。しびれといえば、1月頃からずっと右半身がしびれているのだけど、だいぶよくなってきたような気がするが、今こうしてテキストを打ちながら再発しているので、気のせいだったようだ。
調子にのってやっぱりUKなのだわとStairsやLa'sなんかに酔いしれていたらLuca Nieriというひとの『Music From The Dark Branches』というアルバムをみつけて二度、三度ときいてしまう。しょぼくれたレガシー、このひとは何者なんだろう?リマスター盤とあるから、再発なのだろうけど……。Jack C Frankを思い出したのでSpotifyでラジオ再生する。
花粉もせいもあって、外に出る気がまるでしない。まるでしないのだけど、少しは体を動かさなければと思い、無理やり外にでかけたら一瞬でくしゃみが止まらなくなった。
サイケのまろやかさが酔いしれてたので、White Horses『Hard Time』で締める。明日も聴きそうだ。
日記でも書こうかと思う。それというのも、年が明けてから生活がひどいことになっていて途方に暮れているからで、けして日々が充実しているから日々を振り返るような必要がないなんてことではけしてない。酒量が増えるし、お金はないし、どうしてこんなことになったのだろう……。
なんてことを書いていると、たまに「日記を読んでいるよ」といわれるものだから、そういう人にむけて言っておくのは、心配されても困るから、平気ですよと書いておく。そもそもが、そういう他人への配慮であるとか、仕事であるとか、社会であるとか、そういった私にむけられた意識や束縛であるとか、社会性であるとか、そういうものから意識を切り離して、自己を開放するためにもまず日常を取り戻さなければいけないと思う。
どうも古い音楽ばかり聞いている。そういうものしか聞く気がしない。