俺とお前とインターネット

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」


初めてインターネットに接続したのはとにかく誰よりも早くコンシューマーゲームのチートがやりたかったからで、私が初めて閲覧したウェブサイトは、ゲームのチート情報サイトだった。

私の家にはなぜかバックアップ活用テクニックやゲームラボが山のように置いてあったから、私はそれを読んで、父親にねだってプロアクションリプレイというゲームをチートするための機材を買ってもらってチートしていた。

しかし月刊誌とゲームの発売日は噛み合わない。私は誰よりも早くチートしたかった。地方の田舎で、本屋もゲームショップもほとんどないような土地なのだから、私の周りにゲームをチートしている人間なんていなかった。そもそも誰もゲームすらやってない。ザリガニを爆破するのがなによりの娯楽だ。だから私はたったひとりの最速チーターだったのだけど、それでもまだ足りていなかった。

父親はゲームラボに掲載されている情報サイトのURLを見て「インターネットになら、あるかもしれない」と言って接続してくれた。

ネットスケープ・コミュニケーター。

ダイヤルアップ接続。

インターネットには、まだ雑誌には掲載されていないチート情報が山ほどあった。解析途中の情報や掲載基準を満たせないであろう取るに足らないチート、なんかわけのわからん文字列。ここにはすべてがある。驚きの中で、私は未知のハイパーリンクを辿った。


「チャット」という言葉には、2021年の現在ではもはや懐かしさすらあるが、当時の、まだ一本指でキーボードを叩いていた私にとっては初めて見る単語だった。それが何を意味するのかもわかっていなかった。

わかっていなかったので、クリックしてしまった。初めてインターネットにつないだばかりなのに、うっかりチャットルームに迷い込んでしまったのだ。

そこでは、すごい速度で文字列が更新されていた。何が何やらわからないが、挨拶されていることはわかる。私は一本指で文字列に答えていった。見知らぬ人間と交流する楽しさとか、そういうものはわからなかった。閲覧していただけの文字列が急に私の方向を向いてきたのだ。その速度に追いつくのに必死だった。

そして、それは突然やってきた。

「うんこ」

「うんこ」

「うんこ」

「うんこ」

「うんこ」

荒らしである。

押し寄せる大量の「うんこ」の中で、人々は去っていった。私だけがそこに残った。私には「うんこ」がわからなかった。「チャット」を知らない人間が「うんこ」を理解できるわけがないのだ。流れる「うんこ」の中で、私は言葉を打っていた。「うんこ」だけでなく「xmp」や「plaintext」という未知の文字列もあった。すべての意味がわからなかった。そこでどんなやり取りをしていたのかは、もはや記憶にないけれど、やがて「うんこ」は静止した。

飽きたのである。

「何をしているんですか」

掲示板荒らしだよ」

「それはなんですか」

「こういうの」

彼が教えてくれたのは、掲示板荒らし集団「ゲスッ」による荒らしテクニックの情報サイトだった。

彼は、たくさんのことを教えてくれた。エミュレーターWAREZアイコラオウム真理教カルトブックマーク

インターネットをはじめたその日、私は「アングラ」と出会った。

彼は「磯優一熱墨」と名乗っていた。私は「いそゆういち・ねつぼく」と読んでいた。当時、大量にあった「Yahoo!Japan」のパロディサイトのひとつを運営していた彼は「スガモン」というハンドルネームも持っていて、福岡青少年育成条例に反対する運動を行っていた。

磯優一熱墨・スガモンとの交流は、彼が荒らしていたチャットでしばらく続いた。IPが表示されているチャットを探してWinNukeを撃つような青春だった(余談だが、この時の交流から知る人ぞ知る「サムデコキラー」が組織されている)。

やがて彼はチャットに来なくなったけど、私はたまに思い出したかのように彼の動向をチェックしていた。和歌山毒物カレー事件をパロディした不謹慎ゲームを発表している様子などが見受けられ「元気でいるのだな」と安堵するなどしていた。


一方で私は何をしていたのかと言うと、磯優一熱墨・スガモンによるアングラの洗礼を受けたその日から、私のインターネットはアングラになった。テレホーダイがはじまったら欠かさずGetRightを立ち上げて、WAREZを収集した。ファイルは分割され、JPEGに埋め込まれていた。いきのいいProxyを集めた。Gabrienaiで環境変数を偽装した。PerlDukeの断片化されたコードを集めた。bekkoameに眠るハッカー七つ道具を夢見て、離乳食を読んだ。

そんな多忙の日々を送っているのだから、学校なんてサボるしかない。荒廃する私の心を癒やすのは匿名掲示板「あやしいわーるど」だけだった。

あやしいわーるどはインターネット黎明期におけるテイストレスと呼ばれる匿名掲示板の走りで、不謹慎かつ露悪的な世界観は5chへ繋がっていく。実際に2chを設立した直後のひろゆき掲示板を宣伝しにきたこともあった。「死ね」といわれて追い返されていた。私はあやしいわーるどに入り浸っていた。

あやしいわーるどにはムカつくやつがいた。

彼は脱構築君と名乗っていた。現代思想を中途半端にかじったような長文投稿が特徴の気に食わないインテリ気取りだ。そもそも匿名掲示板でハンドルネームを冠するやつなど煽られて当然なのである。煽り騙りは板の華だ。

私は脱構築君を煽りに煽った。彼は現代思想かぶれで、私はといえばエヴァンゲリオンを履修した勢いで哲学にかぶれていた同じ穴のムジナだったので、煽りは稚拙な議論に突入することもあったが、基本的には煽り散らした。やりがいを感じていた。

脱構築君との煽り合いの日々の中であやしいわーるどは分離、拡散していった。2chが生まれた。mixiが生まれた。はてなダイアリーが生まれた。ウェブの中心は、個人サイトから企業によるウェブ・アプリケーションの時代に移りつつあった。


彼のことは観測していた。はてなダイアリーにいたし、mixiにもいた。Twitterでは路上生活の実況をして話題になった。どうも近い距離にいるようだが交流があるわけではない。似非原重雄、またの名を id:esehara

www.fujitv.co.jp

後にザ・ノンフィクション「好きなことだけして生きていく」に出演することになる無職である。

近い距離にいる。しかし交流はない。彼とのこの距離感がいつ「交流がある」に変化したのかは、記憶にない。

時間は圧倒的に経過していた。私は就職で上京して、東京にいた。その頃、インターネットはTwitterだった。だから似非原とは秋葉原のリナカフェかどこかでフラリと出会ったのかもしれない。しかし、密に関わるようになったのは、私が無職になって、家賃が払えなくなって、似非原と同じように路上生活をしていたタイミングで、とあるシェアハウスに拾われてからだ。

ギークハウスである。

ギークハウスとは、はてなダイアリーのユーザであり、現在は作家、自由人である元ニートphaが設立したシェアハウス。いかにもプログラマーが集まっていそうな名前だが、当時のギークハウスにはゴミが集まっていたし、それを集める引力があった。

Skypeを通じて引力に引き寄せられた私と同様に、似非原もまたギークハウスに住むようになった。住人ではない。単にいるのである。そのような存在だった。似非原はゲームが好きな男だった。チートが好きだし、壊すのが好きだ。そして何かを作りたいと思っている男だったので、ギークハウスでプログラミングを学び、プログラマーになった。

似非原とは色んな遊びをした。ゲームを遊んだし、インターネットをしたし、路上を徘徊した。よく考えるとだいたいこの三つだったかもしれない。当時の私たちにはまったくお金がなかったし、お金がなくてもできることといえば、インターネットか路上徘徊しかないのである。

ある時、似非原がなにかの書類に本名を書いているのをみかけた。そこには「菅本 *1」と書かれていた。私は似非原の本名を初めて知った。そして私がインターネットに繋げたその日、アングラへの高速道路を開いてくれた「スガモン」のことを思い出した。スガモンとスガモト、単に音が似ていたからだ。

「俺にアングラを教えてくれたのはスガモンってやつだったんだ」

「それ俺だよ」

なにかの勘違いではないかと思い、磯優一熱墨の話や、不謹慎ゲームの話をしたら、通じてしまった。磯優一熱墨は「いそゆういち・ねつぼく」ではなく「いそたーねつと」と読むのだという。そうして似非原のインターネット歴をきけば、あやしいわーるど脱構築君もまた似非原だった。

磯優一熱墨、スガモン、脱構築君、そして似非原重雄。私がインターネットをはじめた日に出会った人間は私のインターネットに偏在していた。インターネットはまだ私たちの手のひらに収まっていた。


私は幼少期から家庭の事情で引っ越しを繰り返していた。だから私には故郷と思える場所もないし、幼なじみもいない。携帯電話が普及する以前、引っ越しは人間関係のリセットに近かった。

しかし故郷というものが、長くそこで過ごして、その変化を感じ取った記憶。土地や、そこで生きる人々の変化の記憶が存在して、思いを馳せられることだとしたら、インターネットは私の故郷で、似非原は私の幼なじみだ。

かつて存在したウェブサイトのURL、かつて存在したユーザ、今もあるウェブサイト、今もいるユーザ。直接の交流はないけども、十数年来の記憶があるユーザ。

いなくなってから、遠く遠く、訃報を伝え聞くことがある。十数年来のアウトプットを知っているユーザ、本人すら忘れていることを覚えているようなユーザの訃報を聞くと、人間には家族がいて、仕事があって、私はそれを全く知らないことに思い至る。なんだったら話したことも、面識すらもない。あまりにも知りすぎているから、他人とは思えない赤の他人。インターネットではそういう関係が生まれる。

似非原にしてみても、彼は顕名だけど、私は匿名のユーザだった。だから、私は似非原をずっと知っているけど、似非原は私を知らない。似非原を幼なじみだと思っているのは、私だけだ。この非対称で奇妙な関係は、しかしインターネットに望郷を感じる私には、ちょうどいい。


ギークハウスを去った似非原は、その存在を伏している。もう何年も対面はしていないし、これから会うことがあるのかどうかもわからない。彼には鬱病の気質があるし、人間は複雑なのだし、それでよいと思う。深刻に心配したり、介入したり、そんな浅さの間柄ではないのだ。明確にアクティブなアカウントがなくても、私たちは、お互いのアクティビティをインターネットごしに観測できる。

ある日、私のSteamアカウントに、似非原からゲームが届いた。

Undertaleだった。

そこには、こう添えられていた。

「とりあえず、生きている」


undertale.jp

https://sayonararecords.tumblr.com/post/971464681/synr021chew-z-one-there-is-no-choice
sayonararecords.tumblr.com

*1:似非原はインターネットに本名を含む個人情報を公開しているため、ここでの掲載は問題ないと判断した。