ゴールデンウィーク以来の三連休は、ありがたさが身にしみる。
「いいかげん呼吸するかのようにkubernetesを扱えないと、この先10年やっていけないよ」という提案を受けた。それもそうだと納得したので三連休はkubernetesを学ぶ会を開こうと思ってたんだけどあれやこれやと頓挫してしまった。今週はやっていこうと思っている。
三連休は何をしていたかというと、映画を観たり、散歩をしたり、本を読んだり、つまり平日マイナス仕事ってことなんだけども、心に余裕がある。散歩してみたり、手の混んだ料理をしてみちゃったり、こういう普段やらないちょっとしたことにチャレンジできるのが休みのありがたさなんだけども、じゃあ仕事によって何が削られてるかといえば、それなのだ。意識の高い会社はたいてい「挑戦し続ける会社でいよう」みたいなことを社員に押し付けてくるけども、その挑戦は会社という社長の拡張されたクソデカい身体のチャレンジであって、社員は自分自身のチャレンジではなく、会社のチャレンジを強いられている。この考え方を国家までスケールさせれば、我々個人の意思や欲求とはどこかへ置き去りにされていることが伺い知れる。かといって、私個人の意思や欲求なんて、散歩したり手の混んだ料理をしてみる程度のことだったりもするのだ。
湯水のように金を使い果たしている。クレジットカードのありがたさが身にしみる。