妙に仕事をがんばった。もちろん余裕でサボって本を読んだりしていた。のだが、ここらへんについて最近、思うところがあり、いずれまとまって話をしようと思う。

気難しいおっさんになっている自覚がある。独身中年なのでもちろんひとりで過ごしているのだけども、よくインターネットでは孤独について「一週間まったく声をだしていないので、インターホンに返事ができなかった」みたいな自虐があるけども、コロナ禍とリモートワーク移行の私にとってそれは日常的なことで、普通に声はでる。それはそれとして、もちろん寂しい。寂しいので、たまには人を誘ってお酒を飲みに行く。飲みに行くのだけども、そこで交わされるやりとりに、いちいち思うところがある。気難しい中年になっている。

「俺はこんなおもしろいことを体験したが、お前はどうだ」のような、要するに「おもしろい話をしろ」のような振りに気がついてしまう。私はこれを男性的というか、単に関西ノリと感じるんだけども「あ、あのノリがきた」と思ってしまう。あるいは、飲み終わって会計を済ませて帰ろうとすると「え、帰っちゃうんですか」と言われる。「まだいけるでしょ」とか言われる。実際、別に用事があるわけでもないし、元気なので、付き合うこともできる。けれども「あ、ノリがきた」と感じてしまう。気難しい中年になっている。

この気難しさを言葉にしてしまうところまでいくと本格的にめんどくさい中年になるのだろう。めんどくさい中年になるということは孤独になっていくということだけども、孤独を避けるならノリには抗えない。いちいちノリを感じてはいるけども、楽しんでいることは間違いなくて、だから、いちいち全体的には楽しんでるのに、いちいちなにかに引っ掛かって100%楽しめない人になっている。

とにかく気難しく、めんどくさい中年になりつつある自分を感じる。これをどうしていくのか、どうにかできるんか、というのは、これからも向き合っていくなにかなのだろう。